この度、ガトーフェスタ ハラダ本社ギャラリーでは宇佐美圭司「大洪水」を開催いたします。
宇佐美圭司は大阪府吹田市に生まれ、父の転勤により幼少期を和歌山県で過ごし、1953年に再び大阪に転居し、高校を卒業と同時に上京、目黒区にアトリエを構える。1960年に国立市にアトリエを移し、1963年、南画廊で初個展。1965年、「新しい日本の絵画と彫刻」(MoMA、NY)に出品、この年に『ライフ』誌上のワッツの暴動の写真から抜き出した4人の人型を翌年自作に用いて以来、たじろぐ人、かがみこむ人、走りくる人、投石をする人をモチーフにした絵画を生涯展開させてゆきます。
1967年、第5回パリ青年ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)、1972年、第36回ベネチアビエンナーレ参加、他多数。1990年には福井県の越前海岸にアトリエを創り、2012年に亡くなるまで制作活動を行いました。
今展では宇佐美の最晩年の作品にフォーカスし、生前最後の個展となった2012年大岡信ことば館で行われた個展「制動・大洪水」のテーマをもとに、大作《制動・大洪水》2011-2012を中心に宇佐美の生涯を貫いた表現活動の主題であった制動(ブレーキ)を加えるという事と、その連続性から生まれた大洪水に至るまでの経緯を改めて総括できる機会を作ります。
「大洪水」が指し示すものとは
「大洪水」は、宇佐美圭司の早すぎる晩年において、制作の中心となった主題である。その作品の通奏低音とも言うべき記号化された4つの人型は、ロサンゼルスでのアフリカ系アメリカ人の暴動を伝える写真から抜き出されたものであり、肌の色という避けがたい理由に基づく抑圧への抵抗が内在している。宇佐美はむしろ、この人型を歴史的な背景から切り離し、調和した宇宙を構成する要素として長く用いてきた。転機となったのが2006年の個展「人型/かたちを暴動へ還しに」だろう。困難に抗う意志の表明を、その題名に読み取ることができるのではないか。「大洪水」という題名が現れるのはその翌年である。東日本大震災を経験したわたしたちは、これらの作品群に予言的な印象を抱くかもしれない。確かに宇佐美の作品は、遠くレオナルドやデューラーが幻視した、世界の終末へのおののきに共鳴する、予言的な性質を具えている。とはいえここで予言とは、具体的な災害の有無にかかわらず、不可避の運命への抗いを表明するものではないだろうか。
奥村泰彦(おくむらやすひこ 和歌山県立近代美術館 副館長)