■出品作家:青柳菜摘+細井美裕、木藤遼太、ウィニー・スーン、たかくらかずき、ユーゴ・ドゥヴェルシェール、葉山嶺、古澤龍、米澤柊、リー・イーファン、おおしまたくろう(エマージェンシーズ! 046)、リー・ムユン(エマージェンシーズ! 047)ほか
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イタリアの思想家、フランコ・ベラルディ(ビフォ)は、(2023年5月にWHOによってその終焉が宣言された)パンデミック以後もウイルスが存在することに変わりはないとし、そのことによる私たちの集合的無意識の変化を指摘しています。
現在の私たちの生活におけるパンデミック以前との大きな変化は、たとえばネットワーク環境を基盤にした、リモートワークやオンライン会議などの一般化として表われています。そうした、いわゆる「新しい生活様式」の変化への要因となり、拍車をかけたもののひとつがソーシャル・ディスタンスという考え方でしょう。
これまでの通信技術は、テレプレゼンス(遠隔現前)と呼ばれるように、遠くにあるものを近くに感じさせる、遠くを「ここ」に近づける「近さ」を実現するものとして構想、認識されていました。しかしソーシャル・ディスタンスという、物理的に近くあればこそ、お互いの「適切な」距離を考えざるをえない時期を経た現在の私たちにとって、それらの技術は、「遠さ」を近づける一方で、「近づけなさ」を表象するものにもなっているのではないでしょうか。
マーシャル・マクルーハンは、1962年に、通信技術によって時間的空間的距離というものが解消されることで、情報伝達の格差が消失し、あたかも地球がひとつの村のようになるとする「グローバル・ヴィレッジ(地球村)」というコンセプトを提唱しました。それは、インターネット時代になると現実のものとなり、現在では、高速大容量通信環境や現実拡張技術の発展によって、私たちのリアリティのあり方や捉え方にも変化が起こっています。情報はいつでも享受できる一方で、提供される情報のみで世界が構築されることにもなってしまいました。この時代の情報環境における、さまざまなリアリティの「遠さ」と「近さ」(とその変化)について、これからの集合的無意識を構成する要素について、私たちの日常の変化を反映した作品、日常がどのように変わるのかをとらえようとした作品など、それぞれが異なるアプローチによる作品から考えてみたいと思います。