1960年代から70年代の日本は、それまでの文脈にはない新しい写真表現を生み出す多くの写真家たちが出現した豊穣の時代でした。深瀬昌久(1934–2012)は、その中でも徹底的に「私性」を追求し、日本独自の表現といわれる「私写真」の先駆者として、日本の現代写真史に比類ない足跡を残した写真家です。2014年、深瀬の作品を管理する深瀬昌久アーカイブスの設立以降、国内外での展覧会の開催や写真集の発刊により、その評価が高まり続けています。2025年春には深瀬昌久の半生を描いた映画『レイブンズ』(監督:マーク・ギル、主演:浅野忠信、瀧内公美)が公開され、さらにその作品に注目が集まっています。
家族、愛猫、さらには自分自身……と、常に緊密な関係性の中で写真を撮り続けた深瀬昌久。なかでも、1963年に出会い、翌年に結婚した妻・洋子を10年余にわたって撮り続けた一連の写真群は、写真家・深瀬昌久を語る上で欠かすことのできないものです。「10年もの間、彼は私とともに暮らしながら、私をレンズの中にのみ見つめ、彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」(「救いようのないエゴイスト」、『カメラ毎日』創刊20年記念別冊『写真家100人 顔と作品』、1973年)と洋子自身が綴っているとおり、執拗ともいえるカメラが介在した私生活によって1976年に二人の結婚生活はピリオドを打ちます。その2年後に深瀬は写真集『洋子』(朝日ソノラマ刊)を上梓します(2025年4月には、赤々舎から同作と、深瀬の第一作目となる『遊戯』が併せて復刊されました)。
本展では深瀬昌久アーカイブスの協力を得て、二人が出会った1963年に東京・芝浦のと場を舞台に深瀬お手製の黒マントをまとった洋子をとらえた、没後初発表となるヴィンテージプリント33点を展示します。自身の存在と写真表現を追求し続け、「自分のテーマはいつも身辺、手で触れられるものから始まる」と語った深瀬昌久の作品は、見る人々それぞれに「自己とは?」「他者とは?」、さらに写真の本質について、大きな問いかけを投げかけてくれるものと確信します。